ずいぶん前のお話です。
そこそこ町に、小さな洋裁店がありました。娘さんがひとりでやっている、小さな小さな洋裁店です。
この店で作られるドレスは、(当時は女性の服ををドレスと呼んだものです。)それはそれは美しいものでした。
豪華な材料があったわけではありません。娘さんの力では高価な異国の生地は買えませんしね。
どこにでもあるような生地が、娘さんの手によって
手間を惜しまず染められ、刺繍をほどこされ、細かい作業で編まれた美しいレースで飾られて
美しいドレスへと仕上げられていくのです。
なにしろ小さいお店ですので、一枚出来上がったらすぐに、そのドレスは旅立っていきます。
町の美しいお嬢様がたを、さらに美しく彩るために。
娘さんはいつも「今作っている一枚」とだけ向き合って、ミシンを踏んで、刺繍をして、レースを編んでおりました。
自分が着ているのは、いつも無地の地味な服。
娘さんはあまり美人ではない(と思っていた)ので、
「華やかな服は自分には似合わない。わたしは無地の服だけを着るの。」と決めてしまっていたんです。
どんなに美しい服をどんなにたくさん作っても、お店の中はいつも殺風景なものでした。
評判は良かったですから、仕事に困ることはありませんでしたが、何しろ丁寧すぎる仕事なので、儲けというのはごく僅か。
高価な生地が置かれることもなく、豪華な家具や照明が入ることもなく
いつもかわらず普通の布と、糸と古いミシン、そして無地の服を着た娘さんがちょこんといるだけのお店でした。
それでも人の目には見えなくても、娘さんの頭の中、そして心の中には、何百枚ものドレスが溢れておりました。
次々と生まれてくるイメージに包まれて、娘さんの毎日はそれはそれは美しく輝いていたのです。
いくつも季節は流れて。
今日、娘さんは、とびきりの服を仕上げました。
真っ白い、真っ白いドレスを。
その白一色のドレスには、白い糸で丁寧に刺繍がされ、レースで飾られ、ビーズがちりばめられておりました。
そのドレスを着て幸せいっぱいの笑顔を見せる花嫁さんは、
娘さん(今はもう立派なご婦人でしたね)の一番大切なひとでした。
「なんてきれいな花嫁さん。町一番の美しさね」町の人たちは溜め息をつきました。
町一番の美しい花嫁さんを見つめる「娘さん」は、世界一幸せな洋裁師でした。