「これからどこへ向かえばいいのだろう」
不安と迷いが彼の頭をにごらせた
音を奏でない器は重い荷物になってしまった
売れば今夜の宿代にはなるだろう
古道具屋へ行こうと思いたち
少し磨いておこうと アコーディオンに手をかけた
その時 ジャバラをとめていた金具が外れ ひとつの音がでた
彼の耳に アンコールの拍手が聞こえた
もう一度だけという気持ちが心によぎった
ひとびとに一番よろこばれた曲を弾いた
しんとした森 音は吸い込まれていく
彼は考えるのをやめていた
次々と音楽が溢れ 次々と弾いていた
音楽は森に吸い込まれていく
誰も聞く人はいなかったが
それは問題ではなかった
その時、彼に翼が生えた
それは錯覚かもしれないが
彼の知っている感覚だった
確かに昔、こんなことがあったのだ
彼はずっと弾き続けた
彼の中から音楽は溢れ続けた
不安と迷いは消え
彼の瞳は おだやかに輝いていた
じっと息をひそめてその演奏を聴いている ちいさなドラゴンがいた
ドラゴンの瞳からこぼれた 喜びの涙ひとしずく
この森で美しいものに最初に出会うのはいつも彼女だった
求めるこころが強ければ、めぐりあうことが出来るということなのだろう
ドラゴンはずっとじっと聴きつづけた
静かな静かな夏の日のお話