ある夏の日
ひとりの青年が
老人のような瞳で森をながめていた


彼はずいぶん長いこと
アコーディオンを弾いて生きてきた
それによって生活の糧を
喜びを ひととききらめく恋たちを得て
彼は生きてきた


音楽は流れていくもの
動いていく空気

彼はひとところにとどまらず
町から町へと渡り めぐり 弾いてきた
いつもひとりだったけれど 寂しいと思うことはなかった

毎日毎晩 彼の視線の先にはいつも 人生があったから
さまざまな人生と、ふれあうことができたから
人の想いとつながることができたから

それがたとえ一瞬でも


しかしいつの間にか 人々は彼の前に立ち止まらなくなった
彼の演奏を望んでくれた店は次々と ピカピカで洒落た店に姿をかえた

町もまた音楽と同じ
ずっと同じ顔で留まっていてはくれない
動いている 流れていく 時と一緒に


彼の心はからっぽになった
そして彼の中から音楽が消えていた

ただの器になってしまったアコーディオン

「わたしは今まで何をやってきたのだろう」

何かを 誰かを 許せないような気持ちになった
それは自分自身のことだとも思い 
寂しさに心がしめつけられた

彼を必要としない町をのがれ森の中へやってきたが
ずっとここにいるつもりもなかった

「これからどこへ向かえばいいのだろう」

不安と迷いが彼の頭をにごらせた

音を奏でない器は重い荷物になってしまった
売れば今夜の宿代にはなるだろう
古道具屋へ行こうと思いたち 
少し磨いておこうと アコーディオンに手をかけた

その時 ジャバラをとめていた金具が外れ ひとつの音がでた

彼の耳に アンコールの拍手が聞こえた
もう一度だけという気持ちが心によぎった


ひとびとに一番よろこばれた曲を弾いた
しんとした森 音は吸い込まれていく


彼は考えるのをやめていた
次々と音楽が溢れ 次々と弾いていた
音楽は森に吸い込まれていく
誰も聞く人はいなかったが 
それは問題ではなかった


その時、彼に翼が生えた
それは錯覚かもしれないが
彼の知っている感覚だった
確かに昔、こんなことがあったのだ


彼はずっと弾き続けた

彼の中から音楽は溢れ続けた
不安と迷いは消え
彼の瞳は おだやかに輝いていた

 
じっと息をひそめてその演奏を聴いている ちいさなドラゴンがいた
ドラゴンの瞳からこぼれた 喜びの涙ひとしずく

この森で美しいものに最初に出会うのはいつも彼女だった
求めるこころが強ければ、めぐりあうことが出来るということなのだろう

ドラゴンはずっとじっと聴きつづけた


静かな静かな夏の日のお話

◆7月のお話◆
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